変身キリン


岸上直樹の"関西パンク伝説"
第2回:変身キリン





この人たちはですね〜、いわゆるところの「パンク」(ピストルズとかクラッシュとかね)と思って聴くと、よくわかりません笑 少なくとも僕はそうでした。

んでまあ色々あって自分の中では一応の結論を得たのですが、それは一旦置いとくとして、どんな音楽なのか聴いてみましょう。
僕の一押し曲がなかったので、YouTubeに人生初アップです。へへ。


変身キリン「帽子」



・・・なんとも不思議系素敵サウンドですが、音楽にも歌詞にもパンクの精神が感じられねぇ!こんなのはパンクじゃねぇ!
と思ったそこのあなた!違うんすなーこれが!


そもそもパンクが政治的・社会的なメッセージを掲げだしたのはロンドン・パンクからでありまして、それ以前からじわじわがんばっとったニューヨーク・パンクのみなさんは社会の変革よりむしろ音楽の変革に重きを置いてがんばっていたわけで、ラモーンズなんかを見てみましても彼らは別に「アメリカの政治は腐ってる」みたいなことが言いたかったわけではなく、ただただ自分たちの等身大の新しいロックがしたかったわけでありまして、つまり何が言いたいかというと「変身キリンはニューヨーク・パンク的なパンクである」ということです。はい。これでみんなすっきりやね!
サウンド的にはVelvet Undergroundとかが近いのかなーと思います。文学的ですしねー。でももっと「うたもの」です。ノイズとかはやりません。




さて、そんな変身キリンなんですが、1979年、リーダー兼ギタボ兼全曲作詞作曲担当である本田久作さんというお方が、某バンド雑誌上でメンバー(Guitar,Keyboad,Bass,Violin,Dancer,絵描き)を募集します。めざす世界は、「宮沢賢治、稲垣足穂、ジェームス・ジョイス、世阿弥のようなRock Band」であったそうです。いいセンス。

その後幾度となくメンバーチェンジを繰り返しまして、時にはINUの北田昌宏さん(Gt)、西川成子さん(Ba)が参加したこともあったそうなんですが、変わらなかった主要メンバーとしましては、本田さんと須山公美子さん(Vo,Key)を知っておくといいでしょう。↑の曲では控えめですが、彼女のボーカル、キーボードが変身キリンのサウンドに与えた影響は大きいです。

そんなこんなで1982年2月、自主製作EP「8月4日に」がリリースされます。「帽子」もこれに入ってる曲です。順調っすねー。
(このEP+未発表スタジオ録音+ライブ音源(1981.07.25@京都フレンチマーケット)がのちにCD「変身キリン」となります。)




がしかし!1982年11月のライブを最後に、本田久作さん、一人で東京行っちゃいます!やべぇ!

んでまあ事実上解散となってしまいまして、本田さんは演劇の勉強したりなんやかんややるそうなんですが、そのうちブルースを聴き始めたりして、ロバジョンとかハウンド・ドッグ・テイラーとかいいよねー、とか言いつつブルースギターとブルースハープを猛練習しちゃいまして、1986年、よっしゃ!新バンドやるぞー!名前どうしよっかな〜と思ったら、企画されたライブの名前が「変身キリン復活祭」だったので、「ほなまあ変身キリンでええかー。」てな流れで、以前とは全く違うブルース色の濃い新生・変身キリンが誕生しちゃいます!うそーん!ややこしっ!

このころのデモ音源+ライブ音源がのちにCD「その後の変身キリン」となります。あまりの変わりっぷりにびっくりですが、ギターうめぇ!ハープうめぇ!なのは確かです。


NEW変身キリンは東京、大阪、京都での3回のライブを終えるとその後自然消滅しちゃいまして、本田さんは音楽の世界から身を引かれます。残念っすね。





そんな変身キリンでした。ふとした瞬間に歌を思い出しちゃうバンドです。
きわものぞろいの関西パンク勢の中でのこのスタイルは非常に安心感があるといいますか、変身キリンがいることでバランスがとれてたみたいなとこはあると思います。想像ですが。



んー、削りに削りましたがやっぱり情報量多すぎな気がしますね。すみません。

そう言いながらさらに情報を足しちゃいますが、須山久美子さんは今でも音楽をされておりまして、本田久作さんはなんと落語作家になってるとか!なにー!
町田康さんも落語・浪花節・時代劇なんかがお好きだそうで、なんでしょうね、この人らの古典芸能趣味・・・・・・すてきです笑


http://www.radiodays.jp/radiodays-blog/mrd/?cat=5に飛んでみると、落語作家:本田久作の熱い落語論が読めます。落語聞いてみよっかな〜





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